長い雪の日々からすこしずつ春の日差しが長くなり雪解けが一気に進む3月。
その喜びと、感謝の思い。春にむけての希望の時期。
まだまだ風の冷たさが身にしみることもありますが
陽射しはやわらかく、春の明るさが確かに感じられるようになってきました。
弥生三月
三月は春の息吹を実感する月で、弥生三月ともいいます。
陰暦での弥生は現在の四月ごろですが
この春たけなわの時期は、萌えいずる草木が
いよいよ生(お)い茂り盛んになることで
「弥(いや)おい」といい、それが「やよい」になったといわれます。
旧暦では、二月の梅に続いて三月には桃や桜が花開くので
花月(かげつ)、桃月(ももつき)、桜月 (さくらつき)、などといいます。
最もポピュラーなのは、弥生(やよい)です。
弥は「いよいよ」「ますます」の意味で
「たくさんのもの(植物)が生まれて花盛りになる月」として名付けられました
弥生三月
三月は「弥生」と書きますが「弥生(いやおい)」が変化したもの。
弥生の「弥(いや)」は「ますます」「いよいよ」などを意味し
「生(おい)」は「生い茂る」と使われるように
草木が一斉に新芽を出して緑美しく生い茂ります。
つまり「弥生」は「いよいよ生まれる」とか
「いよいよ生き生きした季節になる」という意味になるでしょう。
桃や桜が咲くので花月(かげつ)
だんだん暖かくなって眠気を誘うので夢見月という異称も。
三月の異称には、代表的な【弥生】から始まって
花月(かげつ)、嘉月(かげつ)、桜月(さくらづき)、称月(しょうげつ)
禊月(みそぎづき)、蚕月(かいこづき)、桃月(ももつき)、
宿月(しゅくげつ)花見月(はなみづき)、春惜月(しゅんせきづき)、
夢見月(ゆめみづき)早花咲月(はやはなさきづき)、
晩春(ばんしゅん)、暮春(ぼしゅん)季春(きしゅん)、末春(まつしゅん)
殿春(でんしゅん)、暮陽(ぼよう)と何となく字面から意味が分かるものから
宿月(しゅくげつ)花見月(はなみづき)、春惜月(しゅんせきづき)、
夢見月(ゆめみづき)早花咲月(はやはなさきづき)、
晩春(ばんしゅん)、暮春(ぼしゅん)季春(きしゅん)、末春(まつしゅん)
殿春(でんしゅん)、暮陽(ぼよう)と何となく字面から意味が分かるものから
竹秋(ちくしゅう)、花飛(かひ)、中和(ちゅうわ)、穀雨(こくう)
清明(せいめい)、桃浪(とうろう)、花老(かろう)
春章暮律(しゅんしょうぼりつ)、未垂(みすい)、姑洗(こせん)
載陽(さいよう)、五陽(ごよう)、など、ひねった言い方のものまで
約四十余りあります。
花月、桜月、桃月は、これらの花がこの月に咲くことから。
禊月は雛のみそぎをすることから付いた名前。
夢見月はついうつらうつらと夢見がちになるという意味です。
暦の上では春の終わりとはいえ、実際はこれからが春らしくなる月です。
暑さ寒さも彼岸までということで、彼岸の中日(春分)頃には
寒さも打ち止めになり、生活にも一区切りの月です。
春という言葉
諸説ありますが「万物が発る」時候というのが一般的な定説のようです。
その他...「草木の芽が張る」「天気が晴る」「田畑を墾る」などから
「はる」という説もあります。
●三春(さんしゅん)
初春
春先、春べの頃、
つまり立春(2/4ごろ)から啓蟄の前日(3/5ごろ)までをいい、
孟春ともいいます。
仲春
春さなかの頃、
啓蟄(3/6ごろ)から清明の前日(4/4ごろ)までをいい、
仲陽ともいいます。
晩春
末の春の頃、
清明(4/5ごろ)から立夏の前日(5/4ごろ)までをいい、
季春ともいいます。
<時候の挨拶>
早春の候 浅春の候 春暖の候 春雨の候 春色の候
春風の侯 春暖の候 若草の候 軽暖の候
春の彼岸の頃 日増しに春めいてまいりました
水ぬるむ季節となりました ひと雨ごとに春めいてまいりました
弥生の空美しく晴れわたり 桜のつぼみもふくらみ
急に春めいて 風はまだ寒く 日毎にのどかになり
<風習・伝承>
●雛祭り
3月3日は、もともと古代朝廷で祝われた五節句の一つ。
昔、中国で三月に女の子を亡くした両親を慰めるために
村中で供養したという故事や
日本の禊ぎ(みそぎ)の習慣があわさって雛祭りとなりました。
古くは紙や土でつくった人形(ひとがた)で身体を撫で
これを川に流してケガレを祓ったものがやがて飾り雛となっていったのです。
雛祭りにつきものの桃の花は、魔除けや邪気を祓う木と考えられ
菱餅は心臓の形を模したものともいわれています。
また菱餅の三色は、赤のクチナシが解毒剤、白の菱が血圧低下剤
緑のヨモギが増血剤として、それぞれ用いられてきたもの。
現代でも流し雛の習慣は各地に残っていますが
一般的には女の子の健やかな成長を願う祭りとして祝われています。
◆上巳(じょうし/じょうみ) 桃の節句・ひなまつり
3月3日は、五節句の二番目「上巳(じょうし)の節句」。
中国にはこの日、水辺で身体を清め、宴会を催し
災厄を祓うという風習がありました。
こうした中国の節句の行事と、日本に古代から伝わる
禊祓(みそぎはらい)の思想や「人形(ひとがた)」を流す風習とが混じり合い
日本ならではの上巳の節句となりました。
上巳はじょうみとも読まれ、本来は三月の最初の巳(み)の日という意味でしたが
かなり古い時代から3月3日に行われるようになりました。
ひな祭りとは、元々、厄除けの日です。
桃の花を飾り、季節の食べ物を供え
身の穢れや災いをひな人形を飾り厄を托すのです。
桃の花は昔から邪を払う霊木とされ、皮膚病の薬として珍重されてました。
◆二十四節気
■啓 蟄
この頃になると、冬の間、土の中で冬ごもりしていた、いろいろな虫が
穴を 啓いて地上へ這い出してくるというところから啓蟄と呼ばれる。
またこの頃は、春雷がひときわ大きくなりやすい時期でもある。
そこで昔の人は、冬ごもりの虫が雷の音に驚いて這い出してくるのだろうと考え
「虫出しの雷」と名付けたりもした。
まだまだ、寒い時節ではあるが、日足も目に見えるように長くなり
日の光の中に春を強く感じるようになる。
ちなみに、「蟄」は「ちゅう」の慣用読みで、虫などが土中にかくれている意。
■春分の日
二十四節気の「春分」そして国民の祝日「春分の日」
お彼岸の中日(ちゅうにち)でもあります。
本格的な春が到来し、秋分とともに昼と夜が同じ長さになる日。
桜前線が北上しはじめるのもちょうどこの頃です。
また、春分の日を中心として前後七日間を「彼岸」と呼び
先祖を供養するためにお墓参りをします。
墓参りの際に「ぼたもち」をお供えする所も多いですが
地域によっては「団子」や「のり巻き」をお供えする場合もあります。
「花冷え」や「寒の戻り」があるので、暖かいと言っても油断は禁物。
●桃
桃の節供の「桃」は三月を代表する花です。
桃には、花を楽しむ花桃(はなもも)と、実を採るための実桃(みもも)があります。
桃は、日本では古くは『古事記』の中に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が
3個の桃で追手を撃退した話があり、中国では、西王母伝説・桃源郷伝説にも
みられるように不老長寿の果実とされています。
早く花が咲き実が多く繁殖力が強く、字の作りの「兆(きざし)」は
多産の象徴で実の形が生命力を表現しているといわれます。
また花の赤色と特有の薬味が邪気を祓うとされ、古代中国では
死者の胸に桃の木を置いたり、門戸に立てたり、身につけたりしていました。
また、宮中の「追難の儀」において、桃の枝、桃の弓、葦の矢で
疫鬼を追い払うのに使用されました。物忌や祓えを行うにあたり
悪鬼をはらい豊作を祈る心が込められています。
(菜の花)
季節の花ということで、春をイメージさせる花であるためか
桃の花の他に菜の花を飾る習慣も有るそうです。
「木の芽風」という美しい言葉がありますが
木の芽を温かくはぐくむかのように吹く春風をいいます。
少し温かな日には、少し遠出して散策するのも良い時節です。
山野を眺めると生気感じられ、緑かかったり、ほの赤いような感じがします。
木々が芽吹き生気あふれる山の様子です。
一方、気象庁の区分では、春は3月から始まります。
春は草木の芽が「張る」「芽が膨らむ」からきていると言う説があるように
これからは、草木の芽が膨らんで
膨らんだあとで花になったり、葉になったり
まさに生き生きした季節がやってきます。
つまり、弥生と春は同じような意味の言葉なのです。
桜のつぼみもふくらみ始め、日ごと春らしさを感じる3月。
暖かい日差しを感じて心うきうきしてきます。
「春」の語源は草木の若芽が張ってくる季節。
日脚が延び、夜明けが早くなりました。
この季節になると、朝6時前には東の空はうっすらと
紫色から淡いピンクの、暖かく柔らかい春の光になってきます。
三寒四温(さんかんしおん)
冬から春にかけて寒い日が三日、その後に暖かい日が四日続く
といったぐあいに、寒暖が繰り返される現象を三寒四温と呼びます。
中国に由来される言葉で、朝鮮半島や中国東北部、華北地方では
顕著に見受けられますが、日本ではそれほど規則正しい周期はないと言われています。
菜種梅雨(なたねづゆ)
三月中旬から四月にかけて、菜の花が咲き始めるころ
雨になったり霧がかかったりして、ぐずついた天気になることがあります。
これを菜種梅雨、もしくは春霖(しゅんりん)と呼びます。
霖とは長雨のことをさしますが、このころの長雨は
夏前の梅雨ほどのうっとうしさは感じられません。
『春は曙 ようよう白くなり行く山際 少しあかりて
春霞(はるがすみ)
春の季節に立つ霞をいいます。
霧と霞は違っていて、気象的には視界が1キロ未満のものを霧
それよりも遠くを見渡せるけれど、景色がぼやけて見えるものを霞といいます。
霞はカスミと読みますが、モヤとも読みます。
カスミは気象観測上の用語ではありません。
煙や雲がたなびいたり、霧やもやなどのため遠景がぼやけて見える状態をいいます。
遠景に棚引いている薄雲は霞ですが、その中に入ると
霧の状態ということもあります。しかし、霧が棚引くという言葉はなく
立ち昇るは雲ではいいますが、霞がたちのぼるとはいいません。
「木の芽風」という美しい言葉がありますが
木の芽を温かくはぐくむかのように吹く春風をいいます。
少し温かな日には、少し遠出して散策するのも良い時節です。
山野を眺めると生気感じられ、緑かかったり、ほの赤いような感じがします。
木々が芽吹き生気あふれる山の様子です。
一方、気象庁の区分では、春は3月から始まります。
春は草木の芽が「張る」「芽が膨らむ」からきていると言う説があるように
これからは、草木の芽が膨らんで膨らんだあとで花になったり、葉になったり
まさに生き生きした季節がやってきます。
つまり、弥生と春は同じような意味の言葉なのです。
『春は曙 ようよう白くなり行く山際 少しあかりて
紫だちたる雲の細くたなびきたる』 清少納言・枕草子
昔から日本人は、光の色からも季節の移り変わりを敏感に感知し
暮らしの知恵を生み出し、俳句や和歌を詠んだのです