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■文月

短冊に歌や字を書いて、書道の上達を祈った 七夕 の行事に因んだ
「文披月(ふみひらづき)」が転じたものといわれています。
また、穂が見えるようになる頃であることから
「穂見月(ほみづき)」が転じたという説もあります。
「ふづき」とも読みます。

7月の異称を「文月(フミヅキ)」というのは、7月に書物を開いて虫干しをする
中国の古い風習が伝わり、「文開く月」から文月となったと言われています。
また、稲の穂が実る月「穂含月(ホフミヅキ)」からという説もあります。
他に「七夕月(タナバタヅキ)」、「七夜月(ナナヨヅキ)」など。
ちなみに英語の7月、"July"は、古代ローマの英雄
ジュリアス・シーザー(Julius Caesar)が自分の名前をとってつけたそうです。  

牽牛・織女に詩歌の文を供え祭る七夕の行事にちなんで「文月」という説。
七月は、七夕で歌を書いて文を添える「文披月(ふみひらきつき)」から。
短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み
「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされる。
『万葉集』で7月をフミツキと訓(よ)ませている。
その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため
「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とする説。
稲穂の膨らみを見る月であるため
「穂見月(ほみづき)」からの転とする説もある。
七夕の日に書物を夜気にさらす行事
中国の7月7日に書物の虫干しをする習慣が日本に伝わり
「文書ひらく月」という説もある。

暑さが厳しい季節。涼を求めて縁側に出れば、朝顔の花に露がきらめき
笹の葉には短冊が揺れています。

季節:晩夏(ばんか) ※小暑から立秋の前日まで。

琉球硝子風鈴

●7月の他の別名
健申月(けんしんげつ)
秋初月 (あきそめつき)
女郎花月 (おみなえしつき)
親月 (おやづき・しんげつ)
相月 (あいづき) 
七夕月 (たなばたつき)
愛合月 (めであいづき) 

●時候の挨拶
向暑の候  盛夏の候  仲夏の候  炎熱の候  猛暑の候  大暑の候
酷暑の候  盛夏のみぎり  大暑のみぎり  酷暑のみぎり  炎暑のみぎり
暑さ厳しき折から  炎暑耐え難く  風鈴の音色に涼を感じるこの頃
毎日うだるような暑さが続いておりますが  暑中お見舞い申し上げます

●7月の暮らし
七夕 お中元の手配
暑中見舞いの準備
夏休みの計画 紫外線対策
夏バテ対策 土用干し
帰省の準備

梅雨明け 海水浴 夏休み 花火 夏祭り
お墓参り 帰省 浴衣 冷奴 葦簣(よしず)
麦茶 扇子 水羊羹 打ち水 ビール 鵜飼
そうめん 蝉 風鈴 日傘 氷菓 うなぎ
土用餅 土用波 土用雨
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初夏 立夏
(5月6日ごろ)から芒種の前日(6月5日ごろ)まで(陽5月・陰4月)
仲夏 芒種
(6月6日ごろ)から小暑の前日(7月6日ごろ)まで(陽6月・陰5月)
晩夏 小暑
(7月7日ごろ)から立秋の前日(8月7日ごろ)まで(陽7月・陰6月)
三夏 夏全体にわたる

「ナツ」という名前の由来は至極単純
「アツ(暑・熱・温)」から転じたとするものが主流です。
すなわち「アツ」が「ナツ」になったわけですが
「ア」がどのように「ナ」に変化したのでしょう?

その理由も温度と関係があり「ネツ(熱)」の[ n ]音が付いたのではないか
と分析している書物もあります。
その他の語源としては、稲が成り立つことから「ナツ」になったとする説
草木が成り出ずる季節だからとする説などもあります。
いずれにしても、植物が繁茂し、動物達が最も活発に動き回る
生命の躍動感溢れる季節が夏なのです。
日本では梅雨から猛暑へと湿気を伴う季節だけに、昔から蒸し暑い夏を
いかに涼やかに過ごすかに生活の知恵を絞っていました。 

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◆半夏生(はんげしょう)
7月2日頃(2014年は7月2日)。
太陽黄径100度。夏至から数えて11日目頃。

梅雨の末期で、半夏(烏柄杓<カラスビシャク>)という
毒草が生える多湿で不順な頃とされています。
農家の人達はこの日までに田植えを済ませ、どんなに気候不順な年でも
この後は田植えをしないという習慣がありました。
地方によっては、ハンゲという妖怪が徘徊するという言い伝えがあり、
この時期に農作業をしないようにという戒めになっているようです。
半夏生までに田植えを済ませた農家では
この日の天候で稲作のできを占います。

半夏生は、この植物にちなんで名付けられたとされています。
※ 烏柄杓(カラスビシャク)は毒草ですが、生薬としても用いられています。
地域によっては、タコを食べる習慣があります。

半夏生の頃には、天から毒気が降るとか、地面が陰毒を含んで
毒草が生えるなどという言い伝えがあり
この時季に筍・わらびなどを食べることや

種を撒くことを忌む風習があったそうです。井戸にも蓋をしたそうです。
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◆小暑(しょうしょ) 
七夕が行われる7月7日頃(2014年は7月7日)。
および大暑までの期間。
太陽黄径105度。夏至から数えて15日目頃。

暑さがどんどん強くなっていくという意味があり、この頃から
暑さが本格的になってきますが、梅雨の終わる頃で
集中豪雨が多く発生する時季でもあります。
この頃から暑中見舞いを出し始めます(正式には大暑から)。
梅雨が明け、強い日差しと共に気温が一気に上がる時季のため
体調を崩しやすくなる頃でもあります。
天気予報やニュースで「小暑」という言葉を耳にしたら
本格的な夏を迎える合図だと思って下さい。
暑さを乗り切るために、しっかり食べて体力をつけておきたいですね。

この頃は蓮の花が咲き始める頃でもあります。
少し風流に蓮観賞に出掛けてみるのもいいですね。
午後には花がしぼんでしまいますので、行かれる時は朝の早い時間に。
暮らしのすべてが夏仕様に変わる頃・・・
小暑を迎えると、衣食住のあらゆるものが夏向きのものに変わります。
部屋の模様替えや食器、ファブリックなどを夏用に替えましたか?

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◆七夕
旧暦の7月7日の夜に行われる行事。
星祭りとも呼ばれる、五節句の1つです。

7月7日。「七夕の節句」「七夕祭り」「たなばた」
短冊に願い事を書いて笹竹に吊して、供え物をします。
そして翌日に七夕笹を川や海へ流す習わしがあります。
7日の夜に、天の川の両岸で鷲座の彦星と
琴座の織姫が1年に1度逢うという伝説があり

それにちなんで裁縫、手芸、琴の上達を祈願したり
豊作を祈願してお供え物をする
中国の行事と
日本独自の「形代流し」の習俗と合わさって

日本の七夕祭りとなりました。
七夕は古来、日本では「しちせき」と呼んでいたようです。
室町時代から七夕には素麺や冷麦が供えられるようになりました。
(地方によっては「ほうとう」「七夕団子」)
なぜ素麺を供えるかというと、この時期は小麦の収穫期なので
その収穫に感謝してという事と、素麺が天の川を連想させるため。
また素麺を織姫の紡ぐ織り糸に見立ててという事からきたようです。
色の付いた素麺を水に浮かせる風習は手芸の上達を願う5色の意図を意味します。

願い事を短冊を書いて笹竹に吊るす風習がありますが
これは、竹竿に糸をかけて裁縫や習字の上達を星に祈るとかなえられるという
中国の乞巧奠(きつこうでん)の習わしからきているようです。
平安貴族たちが、これをまねて、梶の葉に歌を書いたのが始まりです。
江戸幕府は七夕を五節句とし、幕府の式日と定めました。
大奥では、瓜・桃・菓子などを白木の台に盛り、その四隅に笹竹を立て
詩歌を書いた短冊や色紙を結びつけました。
それが一般の人々の風習として広まり、文筆や
針仕事の上達を願いを書くようになったようです。
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●大暑(たいしょ) 
7月23日頃(2014年は7月23日)。
および立秋までの期間。太陽黄径120度。
小暑から数えて15日目頃。「だいしょ」ともいいます。
梅雨明けの時季で、夏の土用もこの頃です。
見ているだけで汗が噴出してきそうな名前です。
最も暑い頃という意味ですが、実際の暑さのピークはもう少し後になります。
動物園の白くまたちへの氷のプレゼントや打ち水などのイベントは、
この大暑の日に合わせていることが多いようです。

●打ち水
大暑の日に合わせて、各地で行われる打ち水のイベントも
もう恒例行事となりました。
打ち水とは、道路や庭に水をまいて土埃を防いだり涼を得たりすることで
昔からの伝わる生活の知恵です。
元々は神様が通る道を清めるためのものでしたが

江戸時代には、主に涼を得ることが目的となりました。

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●土用(どよう)
土旺用事(どおうようじ)の略。
土用というと夏を思い浮かべる方も多いと思いますが
土用は各季節にあります。

陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水とし
(余った?)土を各季節の終わりの18日間に当てはめたことから、
立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を土用といいます。
次の季節へ移る前の調整期間といったところでしょうか。

●土用の丑の日
夏の土用は、1年の中で最も暑さが厳しいとされる時期にあたるため
江戸時代にはこの期間の丑の日を「土用の丑の日」と重視し
柿の葉などの薬草を入れたお風呂に入ったり(丑湯)、
お灸をすえたり(土用灸)すると
夏バテや病気回復などに効き目があるとされていました。
年によっては、土用の期間に丑の日が2回訪れることもあります。
この2回目の丑の日を「二の丑」といいます。

◆ 夏の土用(なつのどよう)
立秋前の18日間。新暦7月20日頃から8月7日頃まで。
日本では夏の土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る
栄養をつけるために鰻を食べる習慣がある。
鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、讃岐国出身の平賀源内が
発案したという説が最もよく知られている。これは文政5年(1822年)の
当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)に収められている。
それによると、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を
何とか売るため源内の所に相談に行った。
源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という
民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると物知りとして有名な源内の言うことならということで
その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり
土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。

●夏土用
・暑中見舞いを出す。
・衣類や書物の虫干しをする。
・梅干しの天日干しをする。
・薬草などを入れたお風呂に入る。
・うなぎや梅干しなど「う」のついたものを食べる。

うなぎ、梅干し、瓜、うどんなど「う」のついた食べ物
土用の丑の日のうなぎは有名ですが、昔からこの日に
「う」のつくものを食べると病気にならないといわれてきました。
例えば「梅干し」「瓜」「うどん」など。
いずれも食が細くなる夏に食べやすいものです。
このような言い伝えは先人たちのありがたいアドバイスともいえるわけです。
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●暑中見舞い
一年で一番暑い季節に相手の健康を気遣う便り。
小暑(7月7日)から立秋(8月7日)までに出します。

もともとは、お盆に親元や仲人、恩師などを訪問して
贈り物をする風習がありそれが簡略化したもので
現在では、日頃ご無沙汰している方やお世話になった方へ
夏の暑い時期に相手のことを想い、気遣いの気持ちを伝えると同時に
自分の近況をお知らせする季節の便りとなっています。
夏の盛りに相手の安否を気づかい自分の様子を知らせる便り。
日頃ご無沙汰している親戚や友人、知人にあいさつを兼ねて報告しましょう。
もし時間があるなら、手書きの一文を添えた
暑中見舞いハガキというのもオススメです。

※暑中(しょちゅう)
二十四節気(にじゅうしせっき)の中の
「大暑(たいしょ)」にあたる期間のことで
立秋(りっしゅう)の前日ごろまでをいいます。
一年で最も暑さが厳しいとされる時期のこと。
暦の上では夏の土用(立秋の前日までの約18日間)を暑中といいますが
実際には立秋の日以降も厳しい暑さ(残暑)が続く。
暑中見舞いが出され、土用の丑の日の鰻など
暑さを乗り切るための食べ物が食べられる。

・暑中見舞いを送る時期
7月上旬の「小暑」(太陽暦の7/7ごろ)から
8月上旬の「立秋」(太陽暦の8/7ごろ)のあいだに出すことが基本ですが
早めのほうが礼儀正しい印象です。 
しかし、7月上旬に「暑中お見舞い申し上げます」と言われても
なんとなく違和感がありますよね。
ですから、7月20日前後の「梅雨明け」から
8月上旬の「立秋の前日」までに出すのがよいでしょう。 
本来は大暑(太陽暦の7/22ごろ)から立秋までに出すのが正式。
また立秋を過ぎてしまったら「残暑見舞い」として送ります。
残暑見舞いも、いくら残暑が厳しくても8月末までには出しましょう。

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